【無料版】ただの社会人だった僕が"Nemurimachi"を作るまで

Nemurimachi 公式サイト

2026/06/29 16:41

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目次

1.はじめに
2.二つの夢
3.心の中に"二人の自分"
4.天才・たてべなおと出会う
5.n回目の大きな挫折
6.希死念慮との戦いの末に


1.はじめに

はじめまして、曲やラジオで僕を知ってくれている方は二度目以上まして(?)、
Nemurimachiの作詞作曲ギター兼リーダー担当・コミナミです。(肩書きながっ)

この度は公式ファンクラブを設立いただけるとのこと、本当にありがとうございます。
それに際して今回は、「Nemurimachiがなぜ出来たのか」「どういう想いで走り出して、今どんな気持ちで音楽を作っているのか」「楽曲が10万再生いくとどうなる?」などを文章として残しておこうと思います。

僕らも勿論まだまだ道半ばですが、それでも、同じように何かを志す方や、一歩踏み出したい方の背中を押せる内容だと思います。
前半は無料で、後半は会員限定になっていますので、ぜひ全編通して読んでいただけると嬉しいです。

 

まずNemurimachiの概要〜(2026年7月7日時点)
※経歴紹介系、超苦手なのでサラッと。。。
・2024年9月始動、Vo.たてべなおがメインで作曲、Gt.コミナミが作詞を務める音楽ユニット。
 └メンバー4人全員作曲ができ、DJ.AoninとBa.Hack-Keyも作編曲に関わったりしてます。(詳しくは各曲のMV概要欄へ!)
 └メンバー全員、立教大学作詞作曲部OPUSの出身です。(結成は卒業後だけど!)
・「降る星のアスター」のMVが公開3週間で10万回再生を突破。
・「ドライブ・マイ・マイン」を使った公式歌詞動画がTikTokにて20万回再生。
・Spotifyの月間リスナー1.8万人突破、YouTube登録者6000人突破。
・RO JACK for Rock in Japan Fes.2026のファイナリストに選出!(優勝してロッキンに出られるかは7/18のライブで決まります!)
といった現在地です。
ざっくり言うと、「だんだん聴いて貰えるようになってきたけどまだまだ駆け出し」って感じ。

 

私コミナミは、主にNemurimachi全体の方針決めや楽曲の世界観・コンセプト作り、曲の構成や歌メロディ以外の楽器、ギターフレーズ、そして歌詞など諸々を担当してます。
(よくお友達の作曲家に「変な作り方!」と言われるくらい我々の制作体制は変わっているらしいです。。。がその辺りは別の記事で!笑)
メロディはたてべが基本的に作っています。(ココ、伏線デス)

 

2.二つの夢

私には今、人生の夢があります。
①Nemurimachiで武道館のステージに立つこと
②自分の本を出すこと
の2つです。

②は今回は関係ないですが、口に出さなきゃ夢は叶わないと思うので積極的に言っていきたい。(出版業界の方、僕はいつでも覚悟ができてますヨ...!!)

ということで①についてです。
僕らは社会人になった後、"本気で音楽を作る"ためにNemurimachiを結成しました。
まずは結成までの話、社会人になるまでと、苦しい生活と労働、それでも縋りたい夢についての話をさせてください。


3.心の中に"二人の自分"

時代は遡ってムシキング全盛期。(2004年ごろ?)
コミナミは愛知県半田市という片田舎で小学生をやっていました。
当時、将来の夢は"虫博士"。カブトムシやクワガタが大好きで、朝早く森へ昆虫を捕まえに行ったりしてました。
(今の僕の嫌いなものランキング、1位が「早起き」で2位が「虫」です。真逆の人間じゃないか・・・。)
当時、ナナフシという超レアな虫をどうしても捕まえたくて、散々探してもいなくて。
夕方帰り道のコンクリート上でやっと見つけた時、その緑色の体が宝石に見えたことを今でも覚えています。

小4の時にハンドボールのクラブチームに入って、クラスでも明るい方。友達も少なくはない方(のはず・・・)。
けど、当時から僕の中には「二人の自分」がいました。

「何かを前に進めようとする白い自分」と「それを遠目で冷ややかに揶揄する黒い自分」の二人。
僕は時折現れるこの黒い自分からの目線が怖くて仕方なかった。それゆえ苛立ち、振り払うように必要以上に明るく振る舞うこともよくありました。
黒い自分が言ったことを、友達にも言われてしまった暁には背筋が凍る。その日寝るまでそのことを反芻し、翌日の朝も覚えています。
だからこそ傷がつかないように徹底的に準備して、武装して、一つも欠点がない人間を目指して生きていました。
テストは全部満点。スポーツも得意でチームではキャプテン。逆上がりができなくて、逆上がりテストの前日に泣きながら近くの公園で練習して、テスト当日は澄ました顔で成功させたりしていました。
今思えば、すべて臆病さの裏返しだったんだと思います。

そんなある日、母がTSUTAYAでGReeeeN(現在のGRe4N BOYS)のアルバム「塩、コショウ」を借りてきました。
上から1曲ずつ聴き進めていって、だんだん頭が熱くなってぼーっとしてきて、4曲目「歩み」のサビで僕はボロボロに泣いていました。
止めようと思っても止まらなくて、なんで泣いてるのかも分からなくてティッシュが足りなくて、どうしようもないほどボロボロと泣いていました。
小学5年、春の日の夕方、家の窓が半開きでカーテンが揺れて西日が部屋に差していて、、今でも鮮明に覚えています。
思えば、あの日が全てのはじまりでした。
僕は「二人の自分」の感覚は自分にしかない、複雑で、理解されなく説明が難しいものだと考えていました。だから友達にも誰にも話すことはなかった。
けれど、「音楽」にはそんなこと、関係ありません。
悩みがどんなに複雑でも、状況がどれだけ入り組んでいても、構わず直線で心に届く。全部お構いなしに心を救ってしまいます。
奇跡だと思いました。
今まで街のBGMでしかなかった「音楽」が、この時僕のヒーローになりました。

それからと言うもの、僕が苦しむ時はいつもその横に音楽の支えがありました。
中学の時はBUMP、RAD、セカオワ、NARUTO、銀魂、家庭教師ヒットマンREBORN!のOP/EDが大好きで、
今でも「銀色の空」を聴けば辛かった中一の記憶が、「ウォーアイニー」を聴けば中三でラウンドワンに行った楽しい記憶が蘇ります。

時は進んで高校時代。卒業まではハンドボール漬けの毎日で、進学校だったのもあり勉強も滅茶苦茶忙しくて、自由な時間はお風呂の中だけでした。
そんなお風呂の中で、気づいた時には自作の曲を歌うようになっていました。
毎日その場限りの新しいメロディを考えて、良さげなものはボイスメモに録って、誰にも聴かせず、自分でも聴きかえすことはなく、
けれど楽しくて毎日それをやっていました。
当時はまともにギターも弾けなかったので、多分今聴くとひどい出来だと思います。
けど、自分の手で新しい音楽が生まれる感覚が嬉しくて仕方なかった。
中一の頃人生のどん底で、はじめて「死にたい」と思った日から定期的に希死念慮が顔を出していました。
音楽を作ることは、そんな思いをかき消すものでした。僕が生まれたからこの曲はある。曲を作る感覚は、自分が生きることの肯定に繋がっていました。


4.天才・たてべなおと出会う

そんなこんなで受験を乗り越えて卒業し、東京は立教大学への進学を決めます。(人の心に興味があって、心理学科に進みました。)

ずっと続けてきたハンドボールに区切りをつけて、大学からは音楽を始めました。
立教大学の軽音サークルを全部調べて、唯一オリジナルの曲を演奏できる「作詞作曲部OPUS」に入部。
東京の街も音楽のある生活も、何もかもが新鮮で輝いて見えて、部員には高校から音楽をやっている人が多くて、早く追いつきたくて夢中で、
ベースを買って、
練習して、
ライブをして、
はしゃいで、
曲を作って、
失敗して、
たまに成功して、
毎日が宝石のようでした。

ここで過ごした日々は、心の底から僕の宝物です。
気づけば2年生になって後輩が入ってきて、そこで僕は一人の"天才"を見ることになります。

たてべなおです。

彼女のライブの衝撃を、僕は一生忘れないと思う。

 

----------------(ここから有料)----------------

 

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下記リンクから登録いただいて、是非ご覧いただければ幸いです。

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